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中国の史書にみる倭と奴国

中国の史書にみる倭奴国

 『魏志倭人伝』の他に、弥生時代の倭や奴国について記した中国の史書としては『漢書』『後漢書』などがあります。
『漢書』地理志には「楽浪の海中倭人あり、分かれて百余国となる、歳時を以て来り献見すという」の有名な一文がある。
前漢は紀元8年に滅亡しているので、この記事の内容は紀元前1世紀後半頃、弥生時代中期中頃から後半頃と考えられる。
 また、成立年代は『魏志倭人伝』より後の時代になりますが、『後漢書』にはいくつかの重要な外交記事が見られます。
「建武中元二年(紀元57年)、倭の奴国、奉貢朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武賜うに印綬を以てす。安帝の永初元年(紀元107年)、倭の国王帥升等、生口百六十人を献じ、請見を願う。」
この記事に出てくる紀元57年に光武帝から賜った印綬が、志賀島で発見された「漢委奴国王」の金印であることは、ほぼ定説となっています。
さらに、107年の倭の国王「帥升」とは、当時の状況から伊都国王とする研究者が多いです。この頃の倭は弥生時代後期前半から中頃に相当します。
 この他にも、中国最古の地理書である『山海経』、後漢の『論衡』、唐の『翰苑』等の古い書物に倭、倭人の記事をみることができます。

中国の史書にみる倭と奴国