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テクノポリス国家 奴国

テクノポリス国家奴国

 奴国は西暦57年、後漢の光武帝「漢委奴国王」の金印を授けられた国として良く知られています。『魏志倭人伝』によれば、2~3世紀の邪馬台国の時代には、現在の福岡市から春日市一帯を中心とする広い領域を占め、人工も二万余戸と邪馬台国の七万戸、投馬国の五万戸に次ぐ規模を有す大国でありました。
それを支えたのは青銅器や鉄器、ガラス玉の生産など、当時の最先端の工業技術です。
奴国の「国」としての成立は、春日市の須玖岡本遺跡で発見された「奴国の王墓」が物語りますように、弥生時代中期後半、今から2000年ほど前であったと考えられます。王墓からは多数の前漢鏡、銅剣・銅矛・銅戈、ガラスの壁など卓越した副葬品が出土しています。

 奴国は、国内はもとより中国大陸、朝鮮半島とも積極的に交流をすすめながら、後期にかけて大きく発展していきました。近年の発掘調査で、須玖岡本遺跡を中心とする須玖遺跡群から福岡市の比恵・那珂遺跡一帯にかけては、青銅器・鉄器・ガラスなどの生産を行った「奴国の官営工房」的な遺跡が密集することが明らかにされつつあります。
 このように、「奴国」は弥生時代中期から後期にかけて、我が国最先端で最大規模の生産拠点を有したハイテク産業国家、テクノポリス国家として繁栄し、伊都国と並んで大きな正直を誇示していました。
 「奴国」の「ナ」は、今も「那珂川」あるいは「那の津」などにその名残をとどめています。