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奴国の「王墓」

奴国の「王墓」

  須玖遺跡群が広がる春日丘陵の北部に立地しており、全国的に有名な弥生時代中期後半頃の低い墳丘のある墓。この「王墓」と、近接すつ「王族墓」を中心とするのが須玖岡本遺跡です。
 明治32年(1899年)、大石の下から甕棺墓が発見され、棺の内外から中国鏡30面前後、銅剣、銅矛、銅戈が8口以上、ガラス壁、ガラス勾玉、ガラス管玉など、多数の副葬品が出土しました。  この豪華な副葬品から、墓地に埋葬された人物は、当時福岡平野一帯を治めた奴国王と考えられています。紀元57年に後漢の光武帝から「漢委奴国王」の金印を授かった王の数世代前の人物と推測されています。
 この須玖岡本遺跡の王墓は、伊都国の三雲南小路の王墓と並んで副葬品が質・量ともに傑出し、特定個人墓として他の甕棺墓と隔絶している事などから、北部九州を代表する強大な権力を持った王の存在を教えてくれます。
 王墓発見の契機になった大石は長さ3.3m、幅1.8m、厚さ0.3mで、現在、奴国の丘歴史公園内に移設されています。出土遺物は九州国立博物館、春日市奴国の丘歴史資料館などで保管、展示が行われています。

奴国の「王墓」